「草原の実験」はアレクサンドル・コット監督による2015年公開の映画。
”タルコフスキーを生んだロシアの新たな才能”ということだが、本作は登場人物が一切しゃべらないという実験作。映像の力を見せつけられた。
あらすじ
見渡す限り続く草原のただ中に、一軒の小さな家がある。
父と娘、二人きりの家族。
日中は何処かへ出かけていく父。
途中まで送る娘を、幼なじみの青年が馬で迎えに来る。
帰宅すると疲れからかそのまま寝込んでしまう父の靴を脱がせ、足を洗ってやる。
何でもないこの繰り返しが彼らの日常だった。
ある日、双眼鏡を眺める少女の目に、家の近くを通る車が故障し、往生している様子が映る。
その内の一人である青年がバケツに水を貰うためにやって来た。
青年は井戸の鍵を開ける少女の姿に惹かれ、お礼の代わりに写真を撮ってやるのだった。
この日を境に、彼らの生活に変化が訪れる。
【予告編動画】
全編セリフなしで展開する衝撃のドラマ!映画『草原の実験』予告編 - YouTube
無声の試み
この映画には一切のセリフがない。
無音ではない。
生活の音、自然の音はあるが、言葉だけがないのだ。
2014年の「オール・イズ・ロスト」はこれに近い試みであったが、それは出演者がロバート・レッドフォードただ一人という状況であったことが大きい。
大海原の真っ只中で、生き延びるためにやるべきことをやる。
不測の事態でも冷静に対処できる経験も貫禄もあった。
それでも時には「Help」や「F×××」くらいの声は出た。
だが本作では言葉があるだろう場面で、あえて話さない。
それは不自然なくらいに。
この世界に言葉など最初からなかったかのようでもある。
どこの国であってもいい、どの国でも起こり得ること。
寓話的な描き方が、かえってこれから起こるだろう出来事を印象づける。
映像から目が離せない
草原の実験というタイトルから何を想像するだろうか。
多分あれのことだだよね、と思うそのままの出来事が起こる。
予告編で提示されていること、それがほぼ全てだ。
そして本編の一番最初に結末の映像が映し出される。
予めこれから起こることがわかっている状態からのスタートなわけだが、90分間飽きさせない。
確かに少女(エレーナ・アン)はかわいい。
この娘がいなければこの映画は成立しなかったかもしれないし、おそらく僕も観なかっただろう。
だが、その構図のなかで少女が他の人物に変わっても絵になる。
いかついお父ちゃんでもこのとおり。
全編こんな感じなのだ。
加えて表情を読み取る必要があるので画面に釘付けになる。
そして最後に待ち受けているものの衝撃。
それすらもきれいなのだが。
慎ましい生活、ささやかな幸せ。時間をかけて積み重ねてきたものの愛しさ。
あとがき
幼なじみの青年はいいやつだった。切ないね。
あと気になるのが最後の太陽の動き。
歪められた自然の摂理的な。
まだ観てない人はリストに入れとくべし。
この話の元になったのは、旧ソ連カザフスタンのセミパラチンスク*1でのできごと。
原題:Ispytanie(The Test)
監督:アレクサンドル・コット
音楽:アレクセイ・アイギ
出演:エレーナ・アン / ダニーラ・ラッソマーヒン / カリーム・パカチャコーフ / ナリンマン・ベクブラートフ=アレシェフ
類似点を指摘されているタルコフスキーの遺作。