「独裁者と小さな孫」はモフマン・マフマルバフ監督による2015年公開の映画。
逃亡の果てに、希望はあるのか
クーデターによって宮殿を追われた大統領とその孫の逃亡の旅。
あらすじ
大統領とその家族は、圧政によって国民から搾取した税金で贅沢な暮しをしていた。彼は多くの罪なき国民を政権維持のために処刑してきた冷酷で無慈悲な男だった。ある晩、クーデターが勃発し、大統領を除いた妻や娘たちはいち早く国外へ避難する。 だが、大好きな幼なじみのマリアやオモチャと離れたくない幼い孫は大統領と残ることになる。
(公式サイトより)
大統領は冷酷な独裁者として知られていた。
その日もテロで逮捕された犯人の処刑を行うための書類にサインをする。
メンバーの中には少年も含まれていたが、将来の革命家の芽を摘むために容赦はしない。
そんな彼も孫には甘かった。
大統領の力の意味を教えるために、宮殿の窓から見える街の灯を命令ひとつで消し、また点けてみせる。
だが、再び消された灯がまた灯ることはなかった。
予告編動画
映画『独裁者と小さな孫』予告篇 - YouTube
負の連鎖を終わらせよう
クーデターで宮殿を追われた大統領と幼い孫の逃避行。
孫はまだ5歳で、世の中のことは何も知らない。
死ぬとは何か、なぜ宮殿に戻れないのか、敵とはだれか?
幼なじみのマリアに会いたい。
予告編だと孫は祖父のことを大統領と呼び、本編だと陛下と呼ぶ。
昨日まで陛下と呼びなさいと教えられてきたのに、今日からはもう呼んでは駄目だと言われるのだ。
戸惑うのは当然だが、理解させなければ命にかかわる。
孫の疑問に答えるために、大統領は過去に自分がしてきた事に向き合わなければならない。
孫息子は次々と悲劇を目撃するたびに、祖父である大統領に質問を投げかけるのですが、これらの質問に答えることは、その事態を招いた張本人にとっては決まりが悪いことです。しかし孫息子の質問に向き合うことで、彼は人間性を取り戻していくのです。
(監督インタビューより)
着の身着のままで彷徨う二人が目にしたのは、その日その日を暮らしていくのもやっとの貧しい人々。
「国民のことを考えていれば、こんなことにはならなかった。」
国民がどれだけこの独裁者を憎んでいるのかを思い知らされ、かつての恋人や古い知人も助けにはならない。
旅芸人に身をやつし、検問を逃れようとする。
唯一の安らげる時間を共に過ごしたのは、かつて自分を殺そうとし、息子夫婦を死に追いやった政治犯たちだというのも皮肉だ。
拷問により歩けなくなった彼らを、大統領自ら背負って道を共にする。
民衆の怒りは大きかった。
銃殺などはぬるい、絞殺も、火炙りでも足りない。
この男がしたように、目の前で孫を殺し、絶望を味わわせた上で処刑しようと、憎しみのあまりに相手と同じことを実行することを主張する。
ある意味で革命以前に存在していた暴力は、何らかの形で革命後に引き継がれていると言えます。そして悲しいことに、多くの人々や国々が、この途切れることのない負のサイクルから抜け出せなくなっているのです。
(監督インタビューより)
憎しみが新たな憎しみを生む。
大統領が宮殿を去って、状況はよくなったか。
内乱による死者の増加と兵士たちの理不尽な暴力で地獄のような有様だ。
ラストに提示される言葉は、解決に繋がるのかは分からない。
しかし希望を持たせる言葉でもあった。
あとがき
冷酷な独裁者と言っても、作中では直接描かれないので、厳しいけど孫思いのおじいちゃんといった感じで感情移入はしやすい。
初見時は孫がマリアマリア言うのがうるさく感じていたが、最後まで観た後の2周めはこの子がかわいくてしょうがない。
今朝、マフマルバフ監督と同じイラン出身のキアロスタミ監督の訃報が流れてきた。
「友だちのうちはどこ?」(監督)「白い風船」(脚本)などがある。
イラン出身監督の映画は手に入りにくいけど、機会があれば観てみてほしい。
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原題:The President
監督:モフマン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュミリ / ダチ・オルウェラシュウィリ