「荒ぶる季節の乙女どもよ。」は岡田麿里(原作)、絵本奈央(作画)による漫画作品。
別冊少年マガジンで2016年12月より連載を開始した。
和紗との行為は「これっぽっちも考えたことない」と泉に告げられた和紗。彼女は衝撃から“性”と“愛”の繋がりをぐるぐると考える……。悩み続ける和紗の前に現れたのは、「セックス」発言の張本人・新菜と泉が並ぶ姿──。
前回はこちら。
変わりゆく関係
姉弟のように育ってきた泉の部屋で、偶然発見してしまった秘蔵のブルーレイ。
和紗も一時は動揺するものの、知らない一面の中にも変わらない部分を見つけ、落ち着きを取り戻したところであった。
年頃の男の子としては自然なことだし、泉がそれ以外にも何かしら持っていたとしても不思議はない。
なまじ付き合いが長いだけに子供の頃のイメージが付きまとうが、もう守ってあげる存在ではなくなっているのである。

ここ最近の色眼鏡を外してみれば、自分のことを一番に心配してくれる身近な異性。
幼なじみとしての好きから恋に変わっていることを自覚しはじめた和紗にとって、泉の弁解はショックな言葉であったろう。
恥ずかしさとともに気遣いの言葉ではあるのだけど、全く対象ではないと言われると自分を否定されたような気持ちになる。
だからといってどう言えばよかったのか、普通の高校生男子にそれが可能だったのかは難しいところである。
和紗と気まずくなりたくない思いが、かえって関係をこじらせてしまうという身悶えしたくなる状況。

悩む彼女は思わず両親に八つ当たりしてしまうのだけれど、むしろ家族の仲のよさが際立っていて微笑ましい。
泉は泉でその相談を新菜に持ちかけるものだから、一緒のところを目撃されてややこしいことになったりするのであった。
一番危なげなく見えた二人が遠回りしそうなところが今後の見どころになってくるかも。

例のセックス発言で文芸部の部員たちに波紋を起こした当の新菜は、何を考えているのか。
2巻での彼女の言動で、実はアセクシャルなのではないかと思っていた。
他の部員のようにまだ恋人がいないことによる分からなさではなく、もっと根本的なところで分からないのではないかと。
だからこそ彼女にとってその理解の先にあるセックスは誰よりも遠いものだったのではなかろうかと。

「自分では名前をつけることのできなかった感情に、本は…言葉を与えてくれる。」
曽根崎先輩の言葉の意味を一番共感していたのは新菜なのかも。
彼女が周囲の生徒たちに「掃き溜めに鶴」と思われながらも文芸部という場所を大切に思っていたのはそんなところからなのではないかと予想していた。
それはそうと、回想シーンの曽根崎先輩って心なしか美化されてる気がする。

新菜に関してはもうちょっとドロドロした感情をみせてくれそうなので期待していいと思う。
1巻での「私はもうすぐ…死にそうなので」の言葉の意味も追々わかってくる。
この巻で最も変化を見せるのは曽根崎先輩か。
地味で面倒くさい性格で文芸部以外の人間とはうまく交われなかった彼女が、大幅なイメチェンを果たし、未知の領域へ踏み出そうとしていた。

拒絶していたのはむしろ自分の方で、周りの気持ちを知ろうとしていなかったのだと気付くのである。
校内で一躍時の人となっても、いつもの先輩らしさも失ってはいないところは安心する。