「愛と哀しみの果て」はシドニー・ポラック監督による1985年公開の映画。
デンマークを代表する作家、カレン・ブリクセン*1(イサク・ディーネセン)の前半生、「アフリカの日々」をもとにしている。
彼女は「バベットの晩餐会」の原作者でもある。
あらすじ
20世紀初頭のデンマークで、資産家の娘として育ったカレンは、男勝りで狩猟にも自ら参加するような女性だった。
恋人と別れ、そこでの生活に飽き飽きしていた彼女は、長い付き合いのブロル男爵(ブロア・ブリクセン)に結婚を持ち掛ける
ブロルは自身の財産を使い果たしていたが、人脈はある。
国を出たかったカレンには、男爵夫人の地位は意味のあるものだった。
二人はケニアのンゴング山の麓に農場を買い、新しい生活を始めるが、それは平坦な道ではなかった。
(これは公式の予告編動画だが、流れている音楽は紹介用であり本編のものとは異なる。)
コーヒー農園の経営
もともと酪農を始めるつもりで買った土地だったが、夫は無断でコーヒーの栽培に変更していた。
高地でコーヒーの栽培には向かないと言われていること、収穫までは何年もかかること、何より資金を出す妻や家族に相談もなかったことで憤るカレンであった。
だが結果的に、土地の人々との交流を深めることにもなった。
農園は多くの人手を必要とし、現地の族長にも協力を仰いだ。
入植が進み、住む場所を失いつつある彼らにもまた、この農園は大事なものになっていく。
夫の浮気とデニスとの出会い
ブロルは奔放だった。
結婚前も道楽者で財産を使い果たすほどであり、想定内ではあったはずではあるが、いつしかカレンは夫に愛情を持つようになっていた。
夫は狩りに夢中になり、農園の経営にも関心を持たず、度重なる浮気でついには別居に至る。
その後に惹かれていくデニス(デニス・フィンチ・ハットン)も貴族出身のハンターで、自由に生きる男であったが、その違いはなんであったか。
結局カレンは自分で所有できないもの、コントロールできないものに惹かれていた。
初めて訪れたとき、多すぎる荷物を持ち込んだ彼女も、この地で17年の歳月を過ごし、国へ帰るときは身一つであった。
失ったものも多かったが、代わりにかけがえのないものも手に入れた。
数年後、彼女は作家となり、この時の経験を元に「アフリカの日々」を書き、「バベットの晩餐会」を書いた。
- Photo credit: Stormsignal via Visualhunt / CC BY-SA
アフリカの日々
本作のほとんどは実際にケニアで撮影され、サバンナを走り回る動物たちや、移動中に遭遇するライオンの狩り、初めて乗った飛行機からの山々の風景が描かれる。
現地人はカレン達と協力するキクユ族を始め、ソマリやマサイも登場する。
執事を務めるキクユ族のファラは、当初カレンの持ってきたハトの飛び出すからくり時計に興味津々であったが、やがて彼女のよき理解者となり、彼女が国へ帰る際は一緒に行きたそうであった。
この二人のやりとりが印象に残った。
第一次世界大戦が始まり、ドイツ領とイギリス領の前線へ物資を届ける旅をしたことがあった。
ファラは毎日野営の場所を探し、目印として火を焚いた。
その時の事を思い出し交わした言葉。
「それと一緒よ。ただ今度は私が先に行くの。」
「そこは遠いのですか?」
「ええ。」
「私が見えるように大きな火にしてください。」
この言葉が、彼女のアフリカでの生活が充実したものであったことを感じさせる。
その後、デンマークのカレンの元にアフリカの友人からの手紙が届くが、送り人はファラであっただろうか。
第二次世界大戦を経て、キクユ族の若者を中心にケニア独立の動きが高まり、1963年12月、イギリスから独立した。
デンマーク政府は、カレン・ブリクセンの住んだ家を買い取ってケニアに寄付し、現在は国立博物館として公開されているという。
- Photo credit: videren via Visual Hunt / CC BY-NC-ND
あとがき
この邦題はどうかと思うが、「バベットの晩餐会」の作者の物語であるという点と、ロバート・レッドフォードが出演していることで観てみた。
以前、「バベットの晩餐会」を観た際に読んだ以下の記事がきっかけだった。
参考リンク:1483夜『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン(実はカレン・ブリクセン)|松岡正剛の千夜千冊
現在、HuluとAmazonプライムビデオで視聴できる。
原題:Out of Africa
監督:シドニー・ポラック
原作:カレン・ブリクセン「アフリカの日々」
出演:メリル・ストリープ / ロバート・レッドフォード / クラウス・マリア・ブランダウアー / マイケル・ガフ / レイチェル・ケンプソン
プライムビデオでは吹替版のみ対象。